他者から傷を受けたときの反応や行動は人それぞれ、だからこそ「傷を癒し前を向く」姿勢はそれだけで評価に値する
翻訳原文
自ら慚(はじ)をもちて
おのれを制し
ひとのそしりを
意とせざること
良き馬の
鞭(むち)を意とせざるがごとき
かくのごときのひと
この世に多くあらんや
(『法句経』143上,友松圓諦訳・講談社学術文庫)
まこと
鞭を受けたる
良き馬のごとく
なんじら
また
専心努力(せんしんぬりき)せよ
(『法句経』143下,友松圓諦訳・講談社学術文庫)
現代語訳
自らの大いなる理想に照らし合わせて
自分自身を省み 律し
他者の言動に振り回されない
そのような姿勢はあたかも
素晴らしい馬が
鞭に打たれることを厭わないのと
よく似ています
しかしながら、このような姿勢を貫ける人ばかりではないのが
世の習いです
*
だからこそ あたかも
鞭に打たれることを厭わない
素晴らしい馬のように
わたしたちは
なお一層 理想に向かって精進しなくてはならないのです
ひとこと解説
人生におけるあらゆる決断は、すべて自分自身の責任のもとでおこなわれます。
他者の意見は結局のところ「補足と参考」以上にはなりません。
他者に人生の舵取りを任せることはできませんし、一喜一憂して振り回されてしまうのも考えものです。
「他者の意見を鵜吞みにして一喜一憂するのではなく、きちんと内容を論理的に精査し、感情のわだかまりを解消したうえで、必要な意見のみを取り入れる」
これが、自律した人間の基本的な姿勢です。
とは言いつつも、「あえて表情や言葉に出さないだけで、他者の中傷に無条件に打ちひしがれてしまう人」は、この世の中に大勢います。
「不用意な一言」に傷ついてしまう繊細な心を持っている人間は、決してマイナーな存在では無いのです。
しかしながら、傷を受けたときの反応や行動は人それぞれです。
意気消沈して理想への挑戦を諦めてしまったがゆえに、無意識のうちに「理想への挑戦を諦めさせる側」にまわってしまう人もいます。
怒りや悲しみに無理やりフタをして、機敏な感情を鈍らせてしまったがゆえに、無意識のうちに「繊細な心を傷つける側」にまわってしまう人もいます。
だからこそ「他者から受けた心の痛みを癒し、自分自身の理想へ向かって進むための糧にする」という姿勢そのものは、それだけで評価に値します。
「他者の反応に傷ついてしまう繊細な自分」だからこそ、受けた傷にしっかりと向き合い、なお一層理想に向かって前進しましょう。
その姿こそが「同じく理想に向かおうとする誰か」の背中を押すのです。
合掌
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