3分で読む法句経|「一時的な高揚感」や「表面的な成果」を追うことは「罪」なのか?

「一時的な高揚感」を追うのは、「水面のきらめき」を追う子どもの姿に似ている

翻訳原文

この世は常に

無常(うつりかわり)に支配さる

何の笑い

何の歓喜(よろこび)ぞ

おん身らはいま

暗黒(やみ)に覆われたり

何故に

燈明(ともしび)を求めざる

(『法句経』146,友松圓諦訳・講談社学術文庫)

 

現代語訳

「この世のすべては常に移り変わる」

私たちの生活は、そのような大原則にしたがって成立しています。

(その事実のまえで)

目の前に映る一瞬の楽しみが、いったい何の助けとなるのでしょう

目の前に映る一瞬の喜びが、いったい何の助けになるのでしょう

私たちの周りでは、もうすぐ夜の帳が降りはじめます。

はたして

(闇夜を照らす)真実の光を求めない理由など、どこに存在するのでしょうか?

 

ひとこと解説

 

「一時的な高揚感」や「表面的な成果」を追い求めることは「罪」にあたるのでしょうか?

 

わたし自身は、その行為自体は「罪」にはあたらないと考えています。

 

「一時的な高揚感」や「表面的な成果」は、海や川の「水面のきらめき」とよく似ています。

キラキラと輝く水面は、あくまで太陽の光を反射しているだけにすぎません。

それと同じように「一時的な高揚感」や「表面的な成果」は、物事の本質ではありません。残念ながら、単なる「幻想」です。

 

「幻想」は、ほんの一瞬しか姿かたちを留めませんし、永遠に自分自身の手中に収めておくことは不可能です。

それにも関わらず、その事実を忘れ、夢中になって「幻想」を追い求める人間の姿は、我を忘れて「水面のきらめき」を追い求める子どもの姿によく似ています。

 

「幻想」を追う純粋さに「罪」はありません。この上ない「喜び」も間違いなくあるでしょう。しかし、身を滅ぼす「危うさ」をはらんでいることは、まぎれもない事実です。そこから目を背けたままではいられないのです。

 

不用意に水面を掻きまわし、水中へと潜り、空虚な「水面のきらめき」を追い続けることに夢中になっているうちに、

いつの間にかずぶ濡れになり、すっかり心も身体も凍えてしまうかもしれません。

いつの間にか岸から遠く離れ、抗いようのない波にさらわれてしまうかもしれません。

いつの間にか日が落ち、帰り道がわからなくなってしまうかもしれません。

 

キラキラと光る水しぶきをいくら浴びようとも、キラキラと光る水面に身を浸そうとも、その人間自身がキラキラと輝き始めることはありません。

 

日が落ちればあっという間に「水面のきらめき」が消えさってしまうように、「一時的な高揚感」や「表面的な成果」は、一定の時期が過ぎればたちどころに価値を失ってしまいます。

まだ時間と心と身体の余裕があるからこそ、目の前の刹那的な楽しみを追うのではなく、世の中の真理を探求する姿勢を打ち出しましょう。

キラキラと光る刹那的な物事を追いかけるのではなく、自分自身の中に真実の光を見出すのです。

 

世の中の真理に基づいた理念と行動は、行動する本人の心とその周囲の人々を、いつまでも明るく照らし続けます。

 

合掌

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