妙香が出家する前にどんな人生を送ってきたのかについて、シリーズ記事でまとめてみました。
前回の記事はこちらです:妙香の身の上話①|「好きなことを思いっきり追求したい…!」と思っていた幼少期~中高生時代
目次
「好きなこと」をやりきった大学時代①:ダンスに没頭する
「机上の知識だけじゃなくて、リアルな現場での経験を通して学びたい」とダンスに挑戦
大学に入学すると同時に「どうせ海外文化を勉強するなら、机上の知識以上の学びを」との思いから、留学先で盛んに踊られているダンスを習い始めました。
(ちなみに、楽器演奏ではなくダンスを選んだのは、留学先で楽器をもたなくてもいつでもどこでも音楽を表現できると思ったからです)
最初は軽い気持ちでスタートしたのですが、次第に夢中になり、全国大会出場やプロとして舞台に立つことが目標になり、レッスンや打ち合わせなどに没頭していきました。
ダンスを通して得た、貴重な経験の数々
頭の中にあったイメージが、煌びやかな衣装や舞台へと具現化され、その中で音楽と一体になって踊り、仲間たちや大勢の観客の方と一体になって、夢のような時間を共有することは、何ものにも代えがたい大きな感動がありました。
しかし、最初からそれが上手くいったわけではありませんでした。
特に自分は、運動経験がゼロからのスタートだったため技術面で同期に後れを取っていました。発表会で「ヘタクソ!」「やめろ!」とヤジが飛んだり、オーディションで失笑されて落ち込んだこともありました。「努力を続けたら、絶対に結果がついてくるはずだ」と、辞めることはしませんでした。
その一方で、一緒に舞台をつくる仲間や、応援してくれる先輩方の存在も大きく、不格好ながらも何百人規模の大きな舞台に立たせていただいたり、メディアへの露出の機会にもたびたび恵まれました。これは、自分の実力という以上に、グループのメンバーに助けられ、チーム一丸となったからこそ成し遂げられた結果だったと思います。
「好きなこと」を追及するためにやったこと・やらなかったこと
余談ですが、当時は活動費をまかなうために、両親や当時つきあっていた相手に内緒で、スナックやバーでの掛け持ちアルバイトをしていました。勉強やレッスンを優先していたため、シフトに入れる時間が夜だったことや、体力的に消耗しない職場を選びました。
また、大学の進学基準もそこそこ厳しかったので、授業にも出席し、レポート課題やテスト前は徹夜が当たり前でした。
授業やダンス練習の合間やアルバイトに出勤する前に、こっそり図書館の個室閲覧室の床で仮眠を取っていたことも良くありました。
おしゃれもレジャーもそっちのけで、ひたすら「自分がやる」と決めたことだけを、毎日がむしゃらに追いかけていました。
長年東京に住んでいたにもかかわらず、東京タワーにすら登ったことはありませんし(笑)、テレビや雑誌にでている街も、ほぼ出かけたことありません。ヨレヨレのTシャツ・ジーンズに、化粧ナシのすっぴんで外出することも多かったです。
「好きなこと」をやりきった大学時代②:海外留学をする
長年の夢だった海外留学を叶える
大学生活の後半では、数年越しの念願が叶い、南米への海外留学を果たしました。現地大学の語学コースに通い、地元のダンススクールでのレッスンに励みながら、忙しく充実した日々を送っていました。
次第に、ダンスのルーツとなった現地の宗教儀礼や祭事に惹かれるようになり、現地の知人のツテを頼り、単身で飛び入り見学をするようになりました。
不慮の事故で約2か月間、寝たきり状態になる
順風満帆のように思えた留学生活ですが、ある日を境に暗転してしまいました。
スポーツ中の事故が原因で、右下半身が激痛で動かせなくなってしまったのです。どうやら骨盤の骨がズレていたようです。
現地の病院は「骨は折れていないから大丈夫」の一点張りで取り合ってもらえず、事故の相手は音信不通になりました。ひどい痛みで眠ることも咳をすることもできず、通学やダンスはおろか、身の回りの買い物すらもできませんでした。
異国の地での大怪我は、とても心細くて「このままだと、飛行機の座席にすら座れない。日本に帰れないかも…」という不安や、「せっかくの留学なのに何もできていない」という焦燥感でいっぱいになり、SNSで楽しそうにしている友人たちの投稿を恨めしい気持ちで眺め、ルームメイトに八つ当たりをする日々が続きました。
リハビリのために通ったヨガのおかげで、どん底の心身から回復する
そんな状態でしたが、欠かさずお見舞いに来てくれる友人がいました。
日用品を買ってきてしてくれたり、近所のカフェに誘い出してくれたり…ずっと家に閉じこもりがちだった自分にとっては、とてもありがたい存在でした。
やがて友人のすすめで、リハビリのためにヨガのクラスに通うことにしました。
最初は歩いて教室にいくだけで精一杯でしたが、レッスンを受け続けることで、徐々に身体の機能が回復していくのがわかりました。また、瞑想が習慣化されることで、少しずつではありますが、行き場のない感情をコントロールして「心を穏やかに保つ」ことができるようになりました。
最終的に、ダンスのレッスンへの復帰は叶いませんでした(ビリーズブートキャンプ並みに激しいレッスンだったので断念しました…)が、交通機関での長距離移動や、自然の中でのトレッキングなどが出来るまでに回復しました。
リハビリ後、3時間のトレッキングに挑戦したのですが、自分の足で山道を歩いたり、川を泳いだ喜びや、そのとき全身で感じた自然のエネルギーは、今でも忘れられません。
また、順番が前後してしまうのですが、帰国後に体調不良で仕事を辞めたあとに「お寺で坐禅をしよう」と思ったとき、このヨガの思い出が頭の片隅にありました。当時の自分が自覚していた以上に、ヨガは心と身体の支えになっていたのだと思います。
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お読みいただきありがとうございました。
続きはこちらに書いてあります:妙香の身の上話③|就職失敗と体調不良で「好きなことを追求する」生活からドロップアウトする
引き続きお楽しみいただければ幸いです。
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