妙香の身の上話①|「好きなことを思いっきり追求したい…!」と思っていた幼少期~中高生時代

妙香が出家する前にどんな人生を送ってきたのかについて、シリーズ記事でまとめてみました。

ちょっと長くなりますが、お付き合いいただけると幸いです。

「恵まれているはずなのに…息苦しい」と感じていた幼少期・中高生時代

好きなことを制限されていた&クラスでの仲間外れに怯えていた小学生時代

わたしは、教育熱心な両親のもとで育ちました。(ちなみにお寺ではありません)

両親はしつけに厳しく、物心ついたころからあらゆる「娯楽」を制限されていました。

テレビ番組・音楽・ゲーム・おもちゃ・おしゃれ・放課後に友人の家に遊びにいくこと…

次第に同級生との共通の話題がなくなり、上手にコミュニケーションを取れなくなり、どんどん挙動不審になっていきました。

小学生の高学年ごろには、陰口や嘲笑は当たり前、体育の授業や学習旅行の組み分けで、ひとりぼっちになることに、いつも不安を抱えていました。

海外文化と音楽に夢中になる

中学生のとき、部活や塾でいじめにあうようになりました。

幸いなことに話ができる友人がいたおかげで学校に通い続けることはできましたが、毎日がつらくて仕方ありませんでした。

そんな中、心の支えだったのが海外文化への憧れと音楽でした。

中・高と所属していた吹奏楽部では、休日を返上しての練習は当たり前で、朝早くから学校が閉まるまで、毎日練習をしていました。お小遣いで洋楽のCDやインポート雑貨を買うのが楽しみでした。

「好きなことを仕事にできないなら…せめて大学時代の間だけでも追及したい」と難関国立大の受験を決意

しかし、ずっと心の中でモヤモヤしていることがありました。

それは、どんなに好きなことを頑張り続けても、それを「人生のメイン(=仕事)」にすることは不可能だ…ということです。

特に、当時好きだった楽器演奏については、(小さい頃から英才教育を受けてきた)同級生たちとの圧倒的な実力の差を目の当たりにして、「いくら楽器が好きでも、プロとして第一線で活動することはできない」だと早々に見切りをつけていました。

そのうえで、

  • 「海外と関わる仕事には、もしかしたら就ける可能性があるのではないか?」
  • 「せめて、就職するまではとことん好きなこと(音楽)を追求してみたい」
  • 「叶うなら、大学で海外で音楽に携わる経験をしてみたい」

と考え、海外文化と音楽について学べる大学のなかで、両親が納得した国立の大学を選んで受験をすることにしました。

死にもの狂いだった、大学受験

志望校を決めたのは、高校2年生のときでした。しかし、当時の学力では全く歯が立ちませんでした。

腹をくくって、部活以外の起きている時間すべてを、受験のために使うことにしました。

それからは、文字通り365日朝起きてから夜寝る前までずっと勉強していました。ストレスで胃カメラ検査を受けたり、髪の毛を引き抜くこともありました。何度も繰り返し解いた参考書は、びっしりと書き込みだらけで、表紙もクタクタになり変色していました。

ちなみに、今振り返って「凄まじい執念だな…(苦笑)」と思うのは、夏期講習に行く途中で交通事故にあったときに、搬送先の病院で意識がぼんやりしながらも、英語の単語帳を手放さなかったことです。

その後、模試などで判定が厳しいと言われたり、前期試験で不合格になっても、一貫して志望校を変えることはなく、最終的には後期試験で、何とか滑り込み合格しました。

 

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お読みいただきありがとうございました。

続きはこちらに書いてあります:妙香の身の上話②|ダンスと海外留学…徹底的に「好きなこと」を追求した大学時代

引き続きお楽しみいただければ幸いです。

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